あなたは信じるだろうか?
神の存在を感じた、この出来事を。
11月26日。
わたしたち『神さまアロマ』のメンバーは、岐阜県関市板取に向けて大きなバンを走らせた。
片道3時間といえば、なかなかな距離。
静岡中部の私たちが、東へ向かって車を走らせれば、東京を通り越して埼玉や茨城あたりまで行ける。つまりは普通なら十分旅行気分で行く距離である。
その距離を直行直帰で向かう理由は、コロナが開けた今、ようやく根道神社の宮司さんにようやく御祈祷をお願いできたからだった。
私たち、神さまアロマの原点がそこにあるのだ。
車の中はわいわいと賑やかだ。
うるさいという説もある。
たわいもないこと、仕事のことひっくるめて次から次へと話題が湧き上がっては昇華していく、いや、垂れ流しているといった方が正しいか。
「秋田って年中こんな天気なんだよ」
メンバーの故郷の話によると、秋田はいつもくもりがちらしい。
空を埋め尽くす灰色の雲をぼんやり眺めながら、あまりなじみのない東北に思いを馳せていると、通り過ぎる看板に「あゆ」の文字が目につくようになった。
あゆ、美味しそうだな。
この辺りは鵜飼いも有名だから、あゆも美味しいだろう。
四方を山に囲まれた田舎道。車は昔ながらの風景の一角に「ようこそ関市板取へ」の看板を見つけると、ゆっくりと駐車場へと入った。
多くの車が集まり、家族や友達連れの観光客がゆったりと歩く姿が、田舎の何もない長閑な田園風景には、異質に見えた。
そこが、今回こ目的の根道神社である。
いや、私たち以外の人々の目的は、その神社の境内にある『モネの池』の方にあった。
この通称モネの池、元々は名前のない小さな池だったのだが、数年前から地域の様相が一変する。
池のほとりにあるフラワーパークの小林さんが睡蓮をその中に植えたのがそもそもの始まりで、そこに誰かが鯉をはなった。
この池は石英という水晶質でできており地面が白く映えるため、まるでキャンバスなのだ。さらに屈折率とやらで鯉がスリムに見え通常の鯉より絵画的になり、さらにさらに豪雪地帯であるのに年中14度と温かい水温は、紅葉することのない睡蓮の葉が真っ赤に色づくという奇跡を生み出し、緑や赤の睡蓮がキャンバスをカラフルに彩り華やかにしている。
睡蓮は夏になると見事な花を咲かせ、色とりどりの鯉たちはその間を気持ちよさそうに泳ぐ。
秋になると紅葉の下の池もまた美しい。
数々の偶然が重なった結果、素人でもファインダーをのぞくと、絵画のような写真が撮れるのだ。
『まるでモネの池みたい』
と誰かがインスタに投稿したところ見事にバズり、今や年間10万人以上が訪れる観光スポットとなった。
訪れる人はあまり意識していないかもしれないが、その通称「モネの池」は、そもそも根道神社の境内の池なのである。
そこの宮司さんと、またうちの調香師たにーさんの旦那とが、釣り仲間でつながるご縁があった。
「神さまをモチーフにしたアロマを作りたい」という彼女の思いを、「おう、いいよ!うちの神社の神さまの香りをつくったら?」と快く受けてくれたのが、根道神社の宮司さん、みきおさんである。
春に訪れてごあいさつはしていたのだが、それからコロナ禍の緊急事態宣言が発出したために来ることができずにいた。
そしてようやく11月26日に訪れることができた。
わたしたちはとりあえず、みきおさんがいるであろう、フラワーパーク(モネの池の管理はここなのだ)に向かって歩くと、すでに神職の衣装を纏ったみきおさんが待っていてくれ、笑顔でこちらに歩いてきた。
「どうもどうも!」
「ご無沙汰しています!」
挨拶もそこそこに、さっそく根道神社へと向かう。
今回の目的は、これ。
私たち神さまアロマの発展祈願と、商品の御祈祷である。
わたしたちもかなり抜けていて、
フラワーパークに納める商品は懸命に準備していたのだが肝心なご祈祷用の商品を用意するのをすっかり忘れており、調香師たにーさんが夜中に思い出して寝不足になりながら作ってくれたのだった。
すまぬ。すまぬのう。
わたしたちが抱えている巨大な荷物の中には、ありったけのアロマたちを大きな紙袋に詰め込んであるのだ。
階段をのぼり、まずは御祈祷の準備をする。
わたしたちも少し手伝いながら、神社を見上げる。
ここの御祭神は、イザナミ、オオヤマツミ、カナヤマヒコ。
そんなに大きな神社ではない。
でも神聖な空気感は神社の大きさではないことを私たちはすでに知っている。
マスクをしているのはもったいないと、マスクを外して深呼吸をする。冷たい空気が肺に流れ込んだ。
「それでは、はじめます」
宮司の正装に衣装替えしたみきおさんは、いつものきさくな雰囲気からガラリと変わっていた。
修祓(しゅばつ)でまずわたしたちを綺麗に祓い清める。
シュバツとは、よく見る、神社のふさふさの棒、ぬさでわたしたちに積もっている穢れを綺麗に祓い清めるのだ。
それから、きれいになったところで御祈祷を行う。
祝詞がとうとうと述べられる。
わたしたちの想いを、みきおさんが大和言葉に書き換えて、それを神様にお伝えしてくれている。
不思議な空気が私たちを包む。
自然と涙が溢れてくる。
なんだろうね、不思議な気持ちだったんだ。
そして一人一人前に進み出て、教わった通りに玉串を捧げ、儀式は終わった。
「なんか、涙が出てきたよ」
「うん、もうむねがいっぱいでさ」
それから、御祈祷していただいた商品を下げ、階段を降り始めると、ふと、ゴオと大きな風が吹き付けたのだ。
わたしは、あ、もしかしたらこれは?と思った。
つい最近読んだ『出雲世界紀行』という出雲神社をめぐる本でも、同じような出来事が起こったのを読んだばかりだった。
それは、出雲大社の60年に一度の大遷宮の儀式の時のこと。
一通りの儀式が終わった瞬間、どうと大きな風が吹き、それから驟雨となったという。
神の存在を感じたのか、その場の神職の多くが涙したという一節。どうしてもこれが頭を離れなかった。
そして。
本当に大きな風の後、神社を降りた後とても外にいられないほどの叩きつける雨となったのだ。
「わーっすごい雨!」
とわたしたちは池のほとりにある、フラワーパークへと逃げ込んだ。
「あれ?今日雨なんて予報あったっけ?」
フラワーパークの小林さんが苦笑いしていた。
「今日は晴れって言っていたのになあ」
そうか、晴れだったのに、突然の雨だったのか。
雨の音を外に感じながら、小林さんにしばらく来られなかった非礼をわびた。
そして新しい商品を納品した。
それから雨を待ちながら、隣のお土産店で温かいぜんざいをいただく。
あれこれお店のご主人話をしながら店を出ると、雨はウソのように止んでいた。
「良かったねー!」
「おお、晴れた晴れた!」
今度は、パアッと雲間から陽射しが射し込む。
モネの池に立ち寄ると、見事な紅葉の下に、モネの池が広がっている。
鯉たちは気持ちよさそうに透き通る水の中を泳ぐ。
スマホを向けて写真を撮ると、あいも変わらず絵画のような写真が撮れる。
池をぐるりと周り、根道神社を見上げると大きく抱かれている感覚を感じた。
わたしは「神さまアロマ」のメンバーだし、神社の神様が大好きだけど、正直言って、スピリチュアルだとか、神だの仏だのは信じない人なのだ。
でも、神さまが好きである。
大いなる存在はあると信じている。
(この微妙な感覚はわかっていただけるだろうか?)
なんというんだろう。
「わたし、今日改めて神社って祓ってもらうところなんだってわかった。なんていうか、願いを叶えてもらうところじゃない、自分をまっさらにして、自分を見つめ直すところなんだね」
メンバーまほすの言葉が的を得ていた。
わたしは感じた。
神は、そこにいた。
その神に、わたしたちは宣言したのだ。
アロマを通して、世界中の人が穏やかな毎日を送ってもらう。
そのために誠心誠意尽くしていく。