今回は、日本を産んだ偉大なる母イザナミさんのお話第3回目です。
今回はかなりわたしの独自解釈なので、一般的に言われていることではありません。
でもイザナミさんが単なる子だくさんなだけではなく、そしてゾンビ映画や貞子のような存在ではなく、この話をひっくり返してみると、実はイザナミの偉大な活躍が隠されているのではないかと思うのです。
というわけで、今回は、シングルマザーにこれ以上共感する神はいない❗️
力強く闘った母、イザナミの実態を探ります。
「神在月」の本来の理由はイザナミの法事だった
まずは、これまでのお話。
ここまでのふたつのお話は、一般的に古事記・日本書紀に書かれているイザナミさんです。
で、今回はこの話の裏に隠されている真実はどこなのかってこと。
それを考え始めたきっかけは島根県松江市佐太神社に古くから伝わる由来を知ったのが始まりでした。
以下、島根県松江市史の中で、出雲地方独特の『神在月』に関するこんなコラムがありました。
さて、なぜ神々は出雲に集うと信じられたのでしょうか?ここでは佐太神社を例にとって簡単に紹介しましょう。
中世から近世の佐太神社の主祭神はイザナミです。このため、少なくとも中世末から近世にかけて、当社の神集いの理由はイザナミを主体に構成されていました。
すなわち、イザナミは、10月に出雲で崩御し、当社の宮山に埋葬された。イザナミはすべての神の母神であるので、神々は、崩御した10月、埋葬された出雲に、孝行のために集うというものです。
誤解を恐れずにわかりやすい言葉で言えば、神々はいわば法事のために出雲に集まると考えられていたのです。
イザナミを祀る神魂神社や熊野大社などでも同様に考えられおり、とりわけ神魂神社では、現在でもこの考え方をもとに、神在祭が行われています。
そういえば、佐太神社、神魂神社、熊野大社周辺には、イザナミの埋葬地としての比婆山伝承地があります。このことは、各社の神在祭と何らかの関係がありそうです。
http://www1.city.matsue.shimane.jp/bunka/matsueshishi/koramubn.data/column08.pdf
そして明治になると神仏習合の関係で、主祭神は佐太大神になりました。すると神在月がイザナミのために集まるとすると辻褄が通らなくなったため、「収穫の祝いのために集まる」と理由が書きかえられたのです。
主張されるようになったのは、新(神)嘗祭(その年に取れた収穫を祝う祭) のために神々が集うとするものです。つまり、神在祭は『出雲国風土記』に記されるカンナビ山(朝日山に比定)に 神々が集って新穀を捧げたとされるカンナビ山祭にその起源が求められるようになったのです。
さらに設定的には、当時の明治政府が担ぎ上げていた天皇家の行事、新嘗祭も収穫祭ですから、同じく収穫の祝いとするのがぴったりだったのでしょう。
こんなわけで、有名な「神在月」の意味も明治に入ってから変わってしまっているのでした。
ポイントはここ。
当時の王であっただろうイザナギではなく、イザナミの供養のために周囲の国々から人々が集まったってことです。
前にも書いたと思いますが、「神」というのは、「偉い人」という意味なので、「全国の偉い人たちが出雲に集まってイザナミ供養のため法事に参加した」のが「神在月」だったってことになりますよね。こうするとだいぶ「神在月」が現実的な行事になります。
それを頭に置いてから古事記・日本書紀を読むと、このイザナミに対する仕打ちのような書き方は一体なんだろう?と疑問がわいてくるわけですよ。
誰が編集しているのかを考える
古事記・日本書紀を編集しているのは、当然ながら天皇家にまつわる人たちでした。(天皇家を讃え、正当性を国内外に示すための書物です)
そして書き手側の立場から、自分たちに都合の良いように正史を書き換えるのは世の常です。
とすると、どうやらイザナミより、イザナギを主人公にする必要性があったのではないでしょうか?
それは編纂している人物的にイザナミが活躍していた事実を残すのは都合が悪かったということ。
ヒーローと敵という勧善懲悪のスタイルがわかりやすく、天皇家の正当性を伝えられるわけですね。
大石内蔵助と吉良上野介もそう。敵役となるとめっちゃ悪者になります。吉良上野介は本当はいい人だったという話もありますよね。
桃太郎と鬼も、立場が変わるとだいぶ見方が変わりますよ。
桃太郎に退治される鬼も、外国人だったとすると、ただ風貌が日本人と違うだけでここまで酷い扱いをされたのだとしたら、酷い話です。鬼を主人公とすると、桃太郎は一方的に差別し攻撃を仕掛けてきたやつの話になるかもしれません。
正義をどちらにするかでストーリーはガラッと変わってしまうのです。
まあ前置きは長くなりましたが、ここまでを踏まえると、イザナギ・イザナミのゾンビの話もかなり違った見方ができるのです。
イザナミ女王説
古事記のこの一言が引っかかるのです。
「その後イザナミは黄泉津大神(よもつおおかみ)となりました」
「大神」とはよほど立場の偉い人物に与えられる称号だと認識しています。
それがたった一行、突然黄泉の国を支配する人になったとだけ、さらっと書かれている。それもゾンビ映画なストーリーからの流れだから、死者の国の女王として、現実味を奪われているんです。
黄泉の国の段で「イザナギのところへ戻れるか相談してくる」とイザナミが伝えた時に、黄泉の神という人物が出てきました。でもイザナミさんは「大神」とついていますので、どうやらその人を追い抜いて上の立場になったようす。でも、この後詳しい記述は出てきません。
謎なんです。
さらにこの後、イザナミが産んでいないスサノオが(スサノオはイザナギ一人で産み出した)
「お母さんのところに行く!」と駄々を捏ねるのですがここも謎。
お母さんちゃうやん!
産んでないやん!
でもストーリーの順序を変えて、あることを仮定するとなんとなく話がスッキリするんです。
ここから先はわたしの見解です。
・黄泉の国、もしくは根の堅洲国という国は死者の国ではなく現実世界であった。
・イザナミはイザナギと離婚後、黄泉or根の堅洲国を治めた女王であった
古事記では黄泉がどのような国か、黄泉比良坂を通るけど、死者の国とは言っていません。まあおどろおどろしいイメージは作られてますけど。
黄泉とは中国の思想。その字を当てることで読み手が死者の国のイメージを持つように、書き手が意識的にこの字を当てたのかもしれません。
黄泉の国が実際にあった国だとして、オカルトの章を読み返すと、いくつかリアルな現実的な問題が見えてきます。
この二人のこの夫婦喧嘩が国家レベルの話で、イザナギの国の治め方に納得行かなかったイザナミが、出て行った話だとしたら?
そして出て行った先で国を治めたのだとしたら?
イザナミはイザナギの国を出て、黄泉の国で大きな軍隊を持つようになり、対立したと読めないでしょうか?
そうすれば、スサノオが「母のところに行きたい」と伝えたのも、もしかしたらイザナギに対する不信感が元で、母の国に言ったとも読めます。
そして前項で伝えた「神在月」の意味。
イザナミは、死後彼女を悼むために周囲の国々の偉い人たちが毎年集まるほどの人物なんです。イザナミが治めた国があったのではないかと思うのです。国を治めなくても、それだけの偉大な存在感を発揮していたんでしょう。
イザナミは「生死を司る神」「シングルマザー・女性起業家をバックアップする神」⁈
イザナミは「生死を司る神」。
イザナミの主なご利益で有名なものは子孫繁栄、安産・子育てなどですが、実際には生を司るだけではなく、黄泉の国の女王として死をも司ります。
日本の国を産み、築き、自然界や、国を築く神々をも産みました。そして、人は必ず死んでまた地に還ります。生まれて死ぬ、自然の営み自体を司る神なのかもしれません。
まあ、この第1章で語ったストーリーは東南アジアに伝わる創世神話が、日本に実在し君臨したイザナミの神話とごっちゃになっているとは思います。
とはいえ大地母神イザナミの力は信頼に足るもの。
また、女王イザナミのパワーも期待できます。
大勢の子どもを産み、自分の子供で苦労を経験し、さらにイザナギと離婚することに。でも次第に仲間を得て「黄泉津大神」と呼ばれるまで地位を築きます。
(ここは第2章ゾンビの話をイザナミ的視点で書き換えたものです)
旦那と別れ、シングルマザーとして一人で立ち上がり、がんばってきたお母さんです。これ以上、現代のシングルマザーや女性起業家に共感できる神様はいないと思うんですよ。
もちろんわたくしの勝手な解釈ですが、かなりアリだと思っています。
イザナミに関わる神社など
イザナミに関わる場所や神社をいくつかご紹介しましょう。
イザナミは、出雲国と伯耆国の境にある比婆山に葬られたとされています。その候補がこちら。
いざなみの墓所とされる場所
▼『岩坂陵墓参考地(いわさかりょうぼさんこうち)』
http://furusato.sanin.jp/p/mysterious/matsue/9/
こちらは三重県熊野市の花の窟神社。島根からは離れていますが、こちらもイザナミが葬られているとして有名です。一度行ってみたい場所のひとつです。
▼花の窟神社
こちらは荘厳な雰囲気の、イザナミを祀る神社。出雲大社を創建する際、この神魂神社を元にして建てられたとも言われています。
▼神魂神社(神魂神社)
今回「神在月」についてご紹介した佐太神社も外せません。ただ、現在は猿田彦が主祭神です。イザナミの陵墓を祀ることに由来する、と御由緒にみえます。
▼佐太神社
以上、イザナミにまつわるオススメ神社です。
ほかにもオススメあれば追加していきます。