静岡県掛川市の「事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)」は『願い事が言葉のままに叶う』と言われ、人気のパワースポットで、遠くから訪れる人も多い神社として有名です。
この御祭神の己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと、以下ことのまち姫)が、古事記や日本書紀には出てこない神様なので、どのような神様なのか、個人的に興味があり調べてみました。
さて、願いを叶えてくれるお姫さまとは、どんな神様なのでしょう?
ことのまま神社とは?
静岡県掛川市にある『事任(ことのまま)八幡宮』は、日本で唯一、言葉で事をとりもち、ことのままに願いが叶うという姫神様「己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)」を主祭神としています。
かの平安時代に書かれた『枕草子』にも「ことのまま明神いとたのもし」と「ことのまま神社」の神さまのことが書かれているんです。
静岡の神社の噂が京都にまでそのご利益が伝わっていたってこと⁈それならすごい。
しかし時代は下り、武家が幅を利かせるようになると、全国の神社が武運長久のご利益がある、つまり闘いに強い「八幡さま」をお祀りするようになりました。
事任神社にも京都の「石清水八幡宮」から八幡様が勘定され、その後「ことのまち姫」を名乗ることが許されない時代が続いたそうです。
平成になり、本来の御祭神「ことのまち姫」をお迎えしようと「ことのままおこし」が始まります。
「ことのまち姫」に関する数々の歴史書類をまとめ、神社庁に提出し、平成11年には県知事の認証書の交付がおりました。
こうして神社関係者のみなさんの尽力のおかげで、これまで山の奥の本宮にひっそりと祀られていた「ことのまち姫」を、山からお連れして里宮にお迎えすることができました。
それが今や願いが叶うパワースポットとして人気の神社なんですからねー。ありがたくお詣りさせてもらいます。
さて、そんな数奇な運命をたどってやっとお祀りすることが叶ったことのまち姫とは、一体どんな神様なのでしょう。
古事記や日本書紀に登場しないこの神さまの正体とは一体⁉️
己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)とは?
わたしの愛読書、独自の文字で書かれている古代文献ホツマツタエによると、ことのまち姫はどうやらフツヌシ(香取神宮の御祭神)の妹であり、アサカ姫というのが本名のようです。「こと」は言葉、「まち」は「待つ」であったり、または太占ふとまに、つまり占いを意味すると言います。
やはり神からの言葉を伝える役割の神さまのようですね。
神社に伝わる御由緒から、まずはことのまち姫の背景を読み解いていきます。
忌部の神である玉主命(たまぬしのみこと)の娘神様で、中臣の祖である興台産命(こことむすびのみこと)の后神様です。また、枚岡神社や、春日大社にお祭りされている天児屋根命(あめのこやねのみこと)の母神様です。
http://kotonomama.org/%e5%be%a1%e7%94%b1%e7%b7%92より
ことのまちの「こと」は「事」でもあり「言」でもあります。また「まち」は「麻知」でも「真知」でもあります。真を知る神、言の葉で事を取り結ぶ働きをもたれる神様として、また、言の葉を通して世の人々に加護を賜う「ことよさし」の神として敬われています。天と地と人を結ぶ、とても大切なお働きをなさる神様です。
*上代「ことよさし」という言葉は「ことよす」という語にさらに敬意を含めたもので、「高い神が御言葉を以て、また事になぞられて顕世に御力をいたされる、真を伝えられる」の意味で、記紀にしばしば用いられています。
*興台産命(こことむすびのみこと)は、言霊の神様で、四国の天川神社にお祀りされています。
この御由緒で紹介されている
・玉主命タマヌシノミコト(父)
・興台産命ココトムスビノミコト(夫)
・天児屋命アメノコヤネノミコト(息子)
の3人。このことのまち姫に関わる方々がどんな人物、神様なのか紐解いてみましょう。
ことまち姫はどうやら親も夫も子供もかなり有名な人物ですよ。
父・玉主命とは?
御由緒によると玉主命は忌部の神と書かれています。忌部氏とは古代のヤマト朝廷に仕え代々神様をお祀りする、宮廷祭祀を司る一族です。
玉主命のフルネームは天石門別安国玉主命(あめのいわとわけやすくにたまぬしのみこと)と言い、門の神さま、宮殿を守る神様です。天孫降臨ではニニギの命に付き従い天下っています。
また、別の説として『古屋家家譜』によると、大伴氏の祖、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)系統の神様で、別名を大刀辛雄命(たちからお)つまり、天岩戸で岩戸を開けたタヂカラオと書いています。
門の神様であったり、ニニギの護衛だったり、天岩戸で岩戸を開けたり、かなりパワフルな神様のイメージが伺えます。
ことのまち姫はこの力強い父の元に産まれたようですね。
息子・天児屋命とは?
で、ダンナさんはちょっと後回しにして、今度はことのまち姫の息子の話です。
天児屋命(アメノコヤネノミコト)は祝詞(のりと)の神様、つまり、まじないや占いの神様です。
6月と12月に全国の神社で行われる「夏越の大祓」「年越しの大祓」で読まれる、邪や魔を払う大祓えの祝詞もこの神さまが作ったと言われています。
なんと3mもある大男だったとホツマツタエに書かれています。
当時の朝廷の専属占い師という格式高い家系で、子孫はのちに中臣氏となり、鎌足の代では藤原氏となる、平安時代にこの世の栄華を極めた、歴史の教科書でもおなじみの一族へと繋がります。
奈良の春日大社の御祭神、と言った方がわかりやすいかもですね。
奈良の春日大社はその藤原氏が自分たちの祖神である天児屋命を祀るために建てたんですよ。
また、この天児屋命について古事記や日本書紀では、アマテラスが天岩戸に隠れた際に、岩戸の前で祝詞をあげた人物とされています。
さらに後の天孫降臨では天照大神の孫のニニギの命に付き従ったメンバーの1人にも抜擢されているほど、当時の高天原(たかまがはら)における地位はかなり高いものでした。
でもちょっと待ってください。
となると、先ほどの玉主命は天児屋命にとっておじいちゃんになるはずですが、天岩戸でも、またニニギの天孫降臨でも一緒だったのでしょうか?
時系列的にもちょっと謎です。
天岩戸→アマテラス、
天孫降臨→アマテラスの孫のニニギ
とこの二つの事象の間に流れている時間はすでに三世代分あります。
そこに祖父と孫が毎度参加している?しかもじいちゃんの方がチカラ担当?笑
まあ古事記や古代文献を調べているとよくあるタイプの謎です。そこをあれこれ妄想したり、推理するのが楽しいんですけどね。
まあ、ことのまち姫の父親も息子も高天原でかなり重要な人物だった、ということはわかりました。
ココトムスビとは?
夫のココトムスビとはどんな人だったのでしょうか?
ある文献ではこの世に1番最初に現れたという天御中主アメノミナカヌシのひ孫とあります。
鹿島神宮の御祭神、武甕槌神(タケミカヅチ)は興台産霊命と同神という一説もあります。
このココトムスビの1番の功績は「ココストのみち」「魂返し(たまがえし)」の秘技を完成させたことです。
先ほども紹介したホツマツタエでは、この家族の話題が本当に多く記載されていまして、特にダンナは「春日殿(かすがどの)」、息子の「天児屋命(あめのこやねのみこと)」は「春日麿(かすがまろ)」として、若い春日麿の結婚と子どもを授かる話がかなり詳しく書かれています。
当時、アマテル(当時の最高権力者)軍がハタレという敵と戦った時、身体が猿、頭が犬の人間が捕虜として捕まりました。
同情したアマテルが、「魂の緒(精神)と魄(はく、肉体)の結びつきを解けば人に生まれ変われるだろう」と、魂返し、別名「ココスト」を行う様にフツヌシ、ツワモノヌシ、タケミカヅチに命令しました。
この時ツワモノヌシが父イチヂが編み出した「魂返し」を行い、「人間に生まれ変わりたい」と自ら命を絶ったハタレたちの霊を猿の魂から解放したそうです。
アマテルからこの功績を認められたツワモノヌシは、「ココトムスビ」「春日殿(かすがとの)」の名を賜りました。
……というのが一連の簡単なストーリーなのですが、
要するにことのまち姫のダンナさんも、大きな功績を上げた呪術使いであったということです。
ホツマツタエでの記述
ことのまち姫の息子、天児屋命は鹿島神宮の御祭神タケミカヅチの一人娘ヒトリヒメを娶ります。
この結婚話がかなり興味深くて、当時の結婚や妊娠、出産への考え方などのくだりが詳しく書いてあるんですね。妊婦の呼吸の数で男女が見分けられたり、犬帯の理由など、興味深い話題が満載です。
そして、人徳が篤い天児屋命は、春日(父の領土)、鹿島、香取(嫁さんの実家と上司の領土)と息栖宮(自分の領土)を受け継いだとされています。
ことのまち姫
まとめていたらかなり長くなりました。
ことのまち姫の家族について、まとまっている情報がなかったので、一通りまとめてみましたがいかがだったでしょうか?
ホツマツタエでは、天の巻でこの家族についてかなり詳しく書かれており、読んでいて1人盛り上がっていました。
古事記や日本書紀だけではほぼ情報がないことのまち姫ですが、家族構成や他の文献から垣間見えた姫の姿は、呪術や占いの重鎮の家系だということ。
祀られていることのまち姫も、この呼び名が付けられているからには、おそらく神と人の言葉をつなぐ人物だったのではないかと思われます。
そんなことのまち姫の姿を思い浮かべながら
掛川市のパワースポット事任八幡宮をお詣りしてみてください。
かしこみかしこみ。