掛川市に鳥居町という町があります。
わたしはこの町の名前を聞いた時から、ずっと不思議に思っていました。
なぜ「鳥居町」と「鳥居」が町の名前についているのか?
その理由がこの神社を訪れた時にやっとわかりました。
ここに、あの全国から日本人が参拝に訪れたという秋葉神社の「一の鳥居」があったからだったんです。
特別な鳥居があったから、鳥居町。なるほど。
とはいえ、いや、秋葉神社までめっちゃ遠いやん!
こんなに距離あるのに、ここに一の鳥居なの!?
というさらなる疑問を抱きつつ、今日はこの鳥居町にある「秋葉神社」の末社「掛川一ノ鳥居遥斎所」のお話です。
秋葉神社とは?
秋葉神社の名前を聞いたことがある方も多いかもしれません。
静岡県西部を流れる天竜川の上流、秋葉山の山頂にある神社で、火の神ヒノカグツチを祀り、防火のご利益がある、天狗さんの神社です。
我が家も台所にある火の神さまは、秋葉山のお札です。
↓秋葉山のホームページはこちら。
江戸時代には全国で「秋葉参り」が大流行!
日本全国に秋葉講ができ、ネコもシャクシも秋葉山にお参りに訪れたんですよ。
まるで蟻の行列のようだと喩えられた秋葉詣り。
昔の人ってすごい。もちろん車も電車もない時代、全部徒歩で行っちゃうんですからねー。信じられない。わたしならそんなに歩けないww
そして江戸から来る人が、やっと秋葉山の入り口についたー!と感じるのがここ、掛川市の「一の鳥居」だったってわけです。
秋葉神社からの距離は?
でも他の街の方からすると、その距離感がわからないと思うので解説しましょう。
Googleマップで調べたら33キロでした。
パッと聞いただけでもけっこう距離あるでしょ?
さらにわかりやすく、東京の日本橋を起点として、30キロはどのあたりかというか調べてみました。
日本橋を
国一方面に行くと横浜まで、
宇都宮方面に向かえば埼玉の越谷、
千葉方面なら幕張あたり、
だそうです。
関東圏の方はイメージできたでしょうか?
(そう考えると、マラソンで42.195キロを2時間くらいで走っているのって信じられない な……
)
まあ、遠くからやっと一の鳥居まできた!と喜んだのも束の間、ここからさらに、日本橋から横浜まで行く距離があるってことです。
でも江戸から来たのなら、あと一息って感じるのですかねえ。
一の鳥居の逸話
看板に書いている由来によりますと、安永九年(1780年)に、江戸日本橋の豪商 次郎兵衛翁より青銅の鳥居が寄進されたのが一の鳥居のはじまりとのこと。
その鳥居はあの歌川広重の「東海道五十三次」にも描かれました。
オランダ商館医のシーボルトもこの鳥居について『江戸参府紀行』に書いているとか。
個人的にシーボルトをかなり尊敬しているので、かのシーボルトも目にしたというのは、ちょっとテンションが上がります。
明治二十四年には鳥居は撤去されてしまったものの、その後も遥拝所として護持されてきました。
秋葉神社末社、掛川遥斎所
平成二十一年本宮御鎮座1300年記念事業として、本宮末社「掛川一ノ鳥居遥斎所」として社殿を改築したのが、現在のこの一の鳥居の神社ということです。
現在の掛川一ノ鳥居遥斎所
小さいお宮ですが、とても整備されていてきれいな神社です。
秋葉神社を思いつつ、そして江戸時代フィーバーした秋葉講を忍びつつこちらを参拝してみては。
ただ、駐車場があるのですが、コロナの関係かわかりませんが、現在ほぼチェーンで入場規制されています。
早く誰でもお詣りに来れるようになるといいのですね。